全学教職員会議活動の記録/学生協議会活動の記録 刊行
発刊にあたって
2009(平成19)年10月31日
東北文化学園大学全学教職員会議代表幹事 佐藤 直由
いま、この記録を見返すと当時のわれわれの熱い思いと行動が走馬灯のように甦る。
われわれのエネルギーの根源は何だったのだろうか。
大学という職場、専門学校という職場がなくなることがエネルギーに火をつけたのだろうか。
いやそうではない。われわれにとって教育活動の継続が絶対の使命だったからである。不条理な出来事によって尊厳な教育の場が混乱することをなんとしても避けたかったからである。教育活動を中断すればすべてを無にしてしまう恐れがあったからである。
そして、教育の場に希望や夢や目標、期待を託していたたくさんの人々がいたからである。入学した学生たち。卒業を目前にした学生たち。研究に取り組んでいた院生たち。学生と学校を黒子のように支援していた保護者の方々。学生の修学を支えていた職員たち。さまざまな分野で専門性を活かし教育に励んでいた教員たち。活躍していた卒業生。暖かいまなざしで見守っていた地域の方々。こんなにもたくさんの人々が目には見えない絆を育てていたからである。この絆を、つながりを、決して無に帰してはならないという思いがあったからである。
こうした思いをともに感じ、ともに危機に立ち向かったみなさんに言えることは、「みなさん、ありがとう!」だけである。
学園のみなさんには、この記録をめくっていただき、いまあるわれわれの学園に誇りをもってもらいたいと願う。
最後になりましたが、発刊にあたり、学園を支え、率先して活動を展開した東北文化学園大学扶助会(2008年3月活動終了)、学生協議会(2008年3月解散)のみなさんに心から感謝申し上げます。
平成21年(2009年)10月31日
編集担当 須藤 諭
東北文化学園大学全学教職員会議副代表幹事
そこで、有志の教職員が2004年5月中旬より準備を始め、同年6月1日には教職員連絡会議を立ち上げることとなりました。その目的は、「①学校法人に対し今後の大学再建に対する取り組みについて具体的な要求をおこなう。②学生の教育機会の保障のために最善を尽くす。③保護者、地域社会と連携し、本学への理解と支援を深める方策を提示していく。④大学組織の見直しと点検を早急におこない、よりよい組織への再編に向けた方策を提案する。」でありました。続いて、有志学生が東北文化学園大学学生協議会(石井千聖代表・当時)を発足させ、すでに大学存続活動に邁進していた東北文化学園大学扶助会(平野又久家会長・当時)とともに、三者一丸となって大学存続・再生のために活動できる体制となりました。連絡会議は同年7月16日に東北文化学園専門学校の教職員の方々と合流し、東北文化学園大学全学教職員会議へと再編されましたが、三者はさらに協力して学園再生のための活動を展開してまいりました。大学の存続・再生はこの三者協力によって導かれたものと誇りに思っています。
存続の危機にあった本学も本年平成21年(2009年)には創立10周年を迎えるに至り、新たな学科が設置されるなど大学は新たなステージへの進展を始めようとしています。この機会に全学教職員会議としても当時の教職員の奮闘を記録としてまとめておくべきということになりました。その方法として当時の教職員連絡会議の世話人会、および全学教職員会議の幹事会が発行した「ニュース」を収録することが、最も生き生きとした記録となるのではないかと考えました。また、特に密接に活動を展開してくれた学生協議会の報告も同時に収録することにしました。「ニュース」はどのような小さな動きであっても可能な限りの透明性をもって全教職員に情報を伝えようと腐心して作られたものでありました。収録されたニュースを見直しますと、短期間にも関わらず実に多くの活動が行われたことがよく分かります。ただ、非常に切迫した状況の中で疲労や睡魔と闘いながら編集を行ったものであり、誤字や脱字も見受けられます。これも生の記録としてそのまま収録しておりますが、趣旨に免じてご容赦いただきたいと思います。
大学存続・再生を目指す三者として協力体制にあった、扶助会、学生協議会は既に解散をされました。われわれ全学教職員会議の活動もこの記録の発行をもって終了することとなりましょう。
最後に、大学存続・再生に尽力されたすべての皆様と本学を支えて下さった地域社会の方々に深く深く感謝申し上げます。