■本報告書の目的
1)災害緊急対策本部活動の記録の編集および今後の対応
対策本部は3月11日に現地教職員によって暫定的に設置され当面の対応策を検討した。停電・断水といった混乱した状況の中で、対応策の検討結果およびその実施記録はメモ程度しか残されていない。理事長・学長が到着された14日には対策本部が正式発足し、本部会議の結論は模造紙ベースでまとめられたので、記録精度を少々高いといえるが、かなり散逸的である。そこで、関係者のメモや記憶を掘り起こし、災害時等非常時の対応についての基礎資料として可能な限り精度の高い活動記録を編集する。合わせて、災害時等非常時の対応について、今後の本学園の行動指針の基礎資料のひとつを得ることを目的とした。
2)ワーキングループの構成
災害緊急対策本部に参加した者のうち、大学に所属する以下の者をWGコアメンバーとした。
主査 佐藤直由 医療福祉学部・学部長
幹事 須藤 諭 総合情報センター・センター長
委員 岡田誠之 健康社会システム研究科・研究科長
西本典良 医療福祉学部保健福祉学科・教授
松永哲夫 大学事務局・局長
髙橋勝則 大学事務局・局次長
また、当時緊急対策本部に参加され現在大学以外の所属となっている高坂名誉学長、佐藤局長、福田局長、今野局長、吉里部長、野田校長、熊谷教頭、阿部部長らの各位に協力を求めた。
本WGは、「災害時の地域支援検討WG」(主査:岡田誠之教授)と連動して作業を進めた。
■本報告書の編集に当たった西本典良教授(保健福祉学科)による巻頭言
●はじめに
平成23年3月11日に発生した東日本大震災は未曾有な大災害を東北地方全域にもたらした。本学キャンパスにおいては、春期休暇中であったために数百人程度の学生しかいなかったこと、大きな建物の崩落がなかったために学生や教職員の怪我などがなかったことは不幸中の幸であった。学生も教職員も家族や友人知人との安否確認がとれず、停電と断水という状況の中で情報も乏しく、頼れるのは携帯のワンセグ放送とラジオのみという状況であった。さらには続く余震、これからどうなるのかという不安、私たちは小雪舞う寒さの屋外で身体も心もただ震えるばかりであった。
150名を超える教職員と300名を超える学生がここにいた。「誰かが何かをしなければならない」そんな気持ちから、発生後ただちに何人かの教職員の呼びかけにより緊急対策本部が設置された。対応マニュアルもなく、物資もないという大変な困難な状況下、刻々と変わる状況の中で、日に何度もミーティングを重ね、一つ一つの問題に対処してきた。
今回の震災のような人の生死に関わる非常時に直面した時に、大学は何を成すべきか、何にどう対応すべきなのか、そしていかに素早く対策本部を機能させ、医療支援体制をつくり、学生・教職員の命と生活をいかに守り抜くか、さらには全大学人の安否確認をどう進めるか、大学周辺の地域住民への支援をどうするのかなど、私たちが直面した課題は山ほどあった。
●本記録の目的
本記録は今回の災害において私たちが行ってきた一つひとつの対応を振り返り、そして検証することを目的としている。今後、前を向いて歩んでいくために何を準備すればよいのか、どれほど困難な状況におかれても困らないための対策をいかに作り、準備するのかという重要な課題がある。こんな災害は2度と経験したくないが、もし万が一にでも同じような局面に置かれたときに再び同じ苦労はしてはならない。地震ばかりではない、火災や爆発という事故や、台風や大雪などの自然災害、備えるべき事態は幾多もある。それらを想定し、毅然とした対策を立てるための基礎資料として活動の記録をできる限り正確に残しておくことはこの震災を体験した私たちの義務であると考えている。
本報告書において重視したのは「あのときに何が起こり、私たちがどんな事態に直面し、その場にいた一人ひとりが何を思い、みんなでいかに対処してきたのか」を明らかにすることである。震災から1年有余が過ぎ、巷ではいろいろな出版物が発行されている。何のためだろうか、時間が経ち落ち着いたからということだけではない。関係者にとっては耐え難い時間が過ぎ、それを経て、やっと「あの時」と向き合うことができるようになったのである。そして「あの時」と向き合い、それを語ることで、前に進もうとしているのである。それは何よりも「これから」を歩むために避けて通れないからであり、「これから」は「あの時」を出発点にしなければならないからだと思われるのである。
●「あの時」を語る中で「これから」を考えることの大事さ
本学が、そしてその場にいた者たちが直面した「経験」は、沿岸部の人々が被ったとてつもない津波と原発の恐怖という「被災」とは異なる。彼らの経験した悲劇はそれに代わるものがないほどの過酷な経験である。しかしながら、「あの時」、「この場」にいた者たちの経験もまた、「とてつもないできごと」であったのも事実である。危機に直面した組織は本当の意味での力量が問われる。その組織が抱えているさまざまな弱点も強みも必然的に露呈せざるを得ない。とすれば私たちにとっても「あの時」を振り返ることは、私たちにとっての「これから」を創るためにどうしても必要なことであると思われる。
機会があって先月、石巻から南三陸、そして雄勝まで足を伸ばしてきた。この雄勝は当時保健福祉学科の4年生であった髙橋勇気君が被災した地である。彼はここで育ち、暮らし、縁があって私たちの大学で学んでいた。あまりにも若い命を私たちは失った。若き一人の青年の冥福を心から祈り、海に向かい黙祷を捧げた。今、目の前に広がる海はあまりにも静かである。親御さんの無念を思えば私には語る言葉もない。
震災から約500日が経ったにもかかわらず、大きながれきの山、廃車の山、壊れたままの民家、底をむき出しにしてひっくり返っている3階建てのビル、壊れた漁船・・・至る所に津波の爪痕は残る。一方であちこちにある「頑張ろう!」の文字、子供たちの描いた復興を願う壁画、そこには塞ぎようもなくバックリと開いたままの傷と人々の内部からあふれる出る希望が混在する。どちらも現実である、共存する現実である。深い悲しみを乗り越えると言うことはこういうことなのかと思った。今を生きていくことが積み重なることで過去の傷が少しずつだけれども塞がれていく、修復されるわけではないが、傷として目に見えるものは少しずつ減っていくのかもしれない。
「復興」と口にすることにはやはりはばかられるものがあるが、たくさんの人々の悲しみや口惜しさが少しずつでもいいから癒されて欲しいと心から願うものである。改めて2011.3.11東日本大震災に直面し、いまだその傷を抱えながらそれでもなお、前に進もうとしているすべての人々に心からのエールを送るとともに、我々もまた共に歩んでいこうとしていることをここに誓い、本報告書の巻頭言としたい。
震災対応の記録作成WGを代表して 西本典良(保健福祉学科・教授)
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